深き森の箱庭にて

幕間:神の座にて


 私は誓いを果たす。それだけだ。

 そう言い放った蒼い髪の騎士・ニレソンの言葉を、道化の装束を纏う者・這い寄る混沌は満足気に聞き入れる。
 「おぉ、かっこいいねえ」
 見た目通りの道化めいた不適な笑みを浮かべる這い寄る混沌は、視線の端でニレソンを捉えつつも、身体を空間の中央で揺蕩う白光へ向ける。
 「あれは?」
 白光を指差し、ニレソンが問いかける。
 「フフ。多分、君はあの部屋が気に入るんじゃないかな」
 「どういう意味だ?」
 「行けば分かるよ」
 二人は光へ向かって歩き出す。四本の足が踏む地面は、しかし見渡す限り暗闇に覆われていて、そこに床は見えない。だが、ニレソンと這い寄る混沌は、確かにそこを歩いていた。  近づいて分かったが、白光の元には二脚の椅子が向かい合って置かれていた。白光の源に背を向けている方の椅子は大きく、灰色の石のような材質で作られていて、もう一方は黒色の木材で作られた、質素なものだった。
 「これは……」
 恐らく、これらは『世界』の創世者・アンセルムと、その娘……
 「マドカ……」
 この二脚の椅子は、二人が永劫を楽しむための座席だったのだろう。しかしマドカはアンセルムの与える永劫を掃き捨て、ニレソンと積み重ねる永劫を選んだ。
 その結果、マドカはこの『世界』に望まれない存在として散り散りにされ、ニレソンもまた、自身の片割れを失ったかのような喪失感に襲われることとなった。
 「その大きな椅子に腰掛けてみるといい。きっと君の助けになると思うよ」
 這い寄る混沌に促されるまま、本来座るべき創世者がいなくなった椅子に腰掛ける。すると、椅子の背後でゆらゆらと揺れていただけの白光が、一際眩い閃光を放つ。
 何事かと振り返ろうとしたニレソンは、すぐにその異常を察知した。
 「これは、一体……」
 ニレソンは背の白光よりも、一瞬で広がった眼前の光景に目を奪われた。そこにあったのは、無数の小窓だった。様々な景色を映し出した無限にも等しい数の小窓が、ニレソンの腰掛ける椅子を中心に、円状に広がっていた。白光しかなかった暗闇は、その小窓の群れに覆われてしまっている。
 「そうだね、『世界』の管制室、と言ったところかな。ここからは『世界』中のあらゆる場所を観測できる。まさに、”神の座”だ」
 「神?」
 「そう。世界中を見渡すだなんて、そんなことできるのは神様ぐらいのものだろう?それよりどうだい。君とってはうってつけの座だと思うが?」
 「……そうだな」
 ニレソンは、その座に着いたことで、『世界』の姿について幾つかの知識が自分の中に入り込んでくるのを感じた。
 『世界』の在り様を簡潔に言うと、一冊の本。そしてその本の1ページ1ページが、それぞれ独立した物語……世界を形成しているのだ。そしてこの無数の窓の一つ一つは、その1ページ毎に刻まれた世界の景色なのだ。
 ニレソンは、すぐさまマドカ・デンドロビュムの欠片を思い浮かべる。マドカのいる世界は、どこにあるのだろう。しかし、彼の集中は、ある一つの窓から発せられた耳鳴りにも似た雑音によってかき乱された。
 
 「おや、まぁ……」
 這い寄る混沌は面白そうに唇を歪める。彼の目先にあるのは、先ほどの音が発せられた窓。ニレソンはその窓に意識を向けると、窓は自然とニレソンたちの目前にクローズアップされた。
 そこに映っていたのは、白黒の砂嵐だった。だが、ニレソンの記憶違いでなければ、先程までその小窓には美しい草原が映っていたはずだった。
 「何が起きたんだ?」
 問いかけるニレソンに、ニヤニヤとした笑みを浮かべたまま這い寄る混沌は一瞥する。まるで、「すぐにわかる」とでも言うようだった。そしてその通りとなった。
 続けざまに、別の窓が同じ音を立て、その映像が砂嵐に変わる。その直後、また別の窓が音を立て、砂嵐に。
 
 音。
 砂嵐。
 音。
 砂嵐……。
 
 何度か続いたその連鎖は、十と幾らかを数えたところでピタリと止んだ。砂嵐になった窓を見つめ、ニレソンは直感で悟る。この窓に映っていた世界は、既に滅びてしまったのだと。かつて居た世界で滅びをもたらす存在であった彼だから、それが理解できた。そして、無言で窓を見つめるニレソンの近くにあった窓に、その異常の正体が映りこむ。
 「龍……?いや、こいつは……」
 窓から見えるその空に、引き裂くように巨大な龍の顎門が突き出ていた。
 ニレソンはその龍に見覚えがあった。大きさこそ違えど、その龍に刃を突き立てたばかりなのだから。
 それは、アンセルムが『世界』に仕組んでいた最後の罠。
 この『世界』の創世者が、怒りと憎しみをもって、自らの死骸を変化させた姿と同じもの。滅びと終わりをもたらすニレソンすらも食い荒らそうとする、龍。
 その龍こそが、『世界』を蹂躙していた正体だった。
 「これは困ったねぇ。問答無用で世界を食い荒らす存在かぁ。下手すると、君の彼女の欠片が巻き込まれて消されてしまう可能性があるねぇ。それに、私の目的も邪魔されてしまうかもしれない」
 全然困ったようには見えない表情と、聞こえない声色で這い寄る混沌は頭を抱えて飛び跳ねる。
 
 「ならば、再び消し去ってやればいい」
 しかし、ニレソンは動じない。
 アンセルムの残した置き土産を滅ぼすため、ニレソンは腰の剣に手をあてて立ち上がる。
 しかし、ふとした違和感に襲われる。
 閉塞感。
 そう、まるで自分の世界は、この白光に照らされた空間だけのような。
 ”神の座”にある者としては、感じえないはずの感覚だった。
 「あは。気付いた?君、ここから動けないんだよ」
 それまで浮かべていた笑みのどれとも違う、一際邪悪な笑み。正体が全く伺えなかった這い寄る混沌の本質を、ニレソンは垣間見たような気がした。
 「私は、あくまで異物……ということか。“神の座”に着くまではいいが、この『世界』の管理者たる資格を持たない私は、そこから身動きできなくなる、と」
 「そういうこと。でなけりゃ先に私が座ってる」
 「お前の目的は、何だ?ここで……この『世界』で何をする気だ?」
 自分と同じく『世界』の外からやってきた来訪者・這い寄る混沌。しかし、同じ世界に生きていたとは思えない異質さを、ニレソンはここにきて初めて感じ取る。そもそも、何故自分はこの正体不明の存在に対し、素直に口を利いているのか。普段自分ならば、こんな得体のしれない存在を相手にするなどありえない。そうした思考を読み取っているかのごとく、這い寄る混沌は不気味な笑みを浮かべるのみだ。
 「私の目的を君に語るわけにはいかないなぁ」
 つまり、
 「私の目的と、ぶつかり合うわけか」
 這い寄る混沌は、その問いかけにイエスともノーともとれる呆れたような仕草で返す。どこまでも嘲笑するような態度を崩さないその姿勢に、ニレソンは苛立ちよりも諦観を覚える。
 「いいだろう、好きに動くといい。だが、私は龍による滅びも、貴様の目的の成就も、どちらも引き起こさせるわけにはいかない」
 「彼女のために?」
 愚問だ、とニレソンは言い放つ。
 この場で切り捨ててしまうのも当然考えたが、何故だかこの道化がそれで息絶えるとは思えなかった。それに、自分が滅びの権化としての力をもっていたのはこの『世界』の外の世界での話である。今の自分に、それだけの力はないことを、ニレソンは自覚していた。
 「言われなくても好きにしますよぉ。本来の目的を忘れるくらいに色々とね。この『世界』は、面白そうなものに溢れてる」
 大量の窓を見上げて、手を大きく広げる。その瞳はニレソンが感じた邪悪さを持ち合わせながらも、新しい玩具を与えられた子供のような純粋さも含んでいた。
 「それじゃ、またいつか会おうよ。カミサマ」
 言うや否や、這い寄る混沌の姿は霧のように空間に溶けて消えた。
 ニレソンは踵を返し、座に再び腰を下ろす。
 
 
 
 当座、必要なのは自身の代わりに『世界』で動くことのできる存在。
 異分子ゆえに、“神の座”から与えられた機能は限定的であるが、神としての権限を行使すれば、それだけの力を誰かに与えることは可能だ。問題は、それを誰にするか、ということ。
 ふと、ある窓が目に入る。
 そこには、龍の顎門によって突き破られた空の世界が映っていた。
 別の角度では、倒壊した瓦礫の山の中で意識を失って倒れる少年と、その少年よりも幾らか年上の女性が映し出されている。
 少年の方は心が壊れ、女性の方は自らの無力感を呪っているということが、意識せずとも読み取れる。そしてどうやら、その世界で生きているのは彼らだけらしかった。より深く読み込んでみると、彼らが生かされているのは這い寄る混沌の細工のせいであるらしかった。
 「早速、好きにやっているようだな。それにしても、これが座の力、か……」
 ニレソンは納得しながら、その窓へ向けて手を伸ばす。
 
 この女は、利用できる。
 
 アンセルムの仕掛けにより一度マドカが失われた時、自らも味わった無力感。しかし、人はその無力感に打ちひしがれるだけでなく、何かしらの反動にもできることをニレソンは知っている。
 自分が『世界』の壁を喰い千切ってここにいるように、きっと彼女も……。
 そうして期待を込め、ニレソンはその女性に接触を試みた。
 
 幾つか言葉を交わし、彼女が知りえなかった事実を教え、了承した彼女と契約は成立する。
 彼女の長く美しかった黒髪は、その契約の証か、白一色に染まった。
 
 そして、神の眷属にして触覚、契約者・霧ヶ峰 黎は生まれた。