オワリノソノ

第二章


私も同じなの。
平淡な声で、上坂あげははそう告げた。
彼女もまた、僕と同じく殺人衝動を抱いているのだと。
だけど、彼女と僕は同じではない。
僕には“こんなこと”、できないから。

 血肉のオブジェを目にした衝撃から、喉の奥から様々なものが込み上げてくる。街灯の光が持ち直したというのに、光が消えていた時よりも暗い闇に視界が覆われているような感覚だ。僕はその鈍重さに目眩を感じ、思わずその場に膝をついてしまう。
 「あちゃあ、やっぱりダメかー。ま、仕方ないよね。こんなもん見せられちゃあねえ……って見せたのは私だけど」
 そんな上坂の言葉は断片的にしか耳に入ってこない。だが、“これ”を自分に見せたことは悪いことをしたと言いつつも、“これ”を作り上げたこと自体に対しては一切悪びれたりはしていないことはわかった。
 「ちょっと、大丈夫?吐きそう?」
 呻く僕を心配そうに見る上坂だが、その瞳は相変わらず濁りきった色のままだ。
 「お前……“これ”は……!お前は、何をしたのか……わかってるのか!?」
 ようやく搾り出した声で、上坂を糾弾する。しかし上坂は一瞬きょとんとした表情を見せるも、すぐににやにやとした笑みを浮かべだしただけだった。
 「そうかぁ、石橋君ってこういうのダメなんだぁ」
 舐め回すかのような上坂の口調に苛立ちを覚える。しかしここで怒りを露にしてしまえば、あの衝動に一気に呑まれかねない。それだけは避けなければ、と僕は必死に怒りをも抑え込む。
 「……“殺せ”ないんだね、石橋君は」
 うってかわって、今度は冷ややかなトーンで上坂は言い放つ。

 一体何なんだこいつは。
 思考の一切が読めない。
 無論“殺人”者の思考なんて読めたくはないが、やはりこいつは変人だ。いや、人であるかも疑わしい。今の僕には上坂が怪物のように思える。
 「そんな睨まないでよ。あ、分かった。私が人を殺したと思ってんでしょ?」
 「思っているも何も、“殺した”んだろう、お前は。そうして“これ”を作ったんだろう……?」
 「あははっ、ないない。よく見てみなよ……ってのも酷だね、その状態じゃ」
 そう言うと上坂は、オブジェに腕を突き刺す。
 「え~っと……確かこのへんに……」
 ぐちゃぐちゃと肉をこねくり回す音が響く。時たま何かを押し潰した拍子に血液が噴き出し、上坂の頬を塗らした。
 はっきり言って嫌悪感と吐き気しか催さない光景ではあったが、どういうわけか目をそらすことができない。
 さっきから上坂のやることなすことに目を奪われっぱなしになってしまう。自分の中の衝動が、この光景を、血肉を求めているとでも言うのだろうか。

 「あ!あったあった」
 肉塊の中から上坂が引き抜いたものは、全身を血に染められていて一瞬何か分からなかった。
 「これは……猫……?」
 「それも死骸のね。拾ってきたの。“人殺し”だなんて、そんなことしないよ」
 「拾ってきたって、お前……。それじゃあ、これは全部……」
 「私が拾い集めた動物の死骸だよ。驚いた?」
 驚いたというか、純粋に引く。
 こいつの思考は本当に読めない。
 「これはね、代償行為なの。私は石橋君みたいに我慢強くないから」
 上坂が自分の鞄から何かを取り出す。街灯の明かりを受けて銀色に鈍く輝くそれは、刃。
 どこで手に入れたのかはわからないが、大型のナイフが上坂の手に握られていた。まだ暗闇が覆いかぶさっているかのような視界で、そのナイフの放つ鈍い光だけがやたらに眩しい。そのナイフを、上坂は躊躇いなく猫の死骸に突き刺した。
 「こうして……何かを“殺した”気にならないと……ッ!ダメなんだよね……!」
 抉る。
 抉る。
 引き抜き、突き刺し、また抉る。
 その上坂の表情は、笑顔。
 上坂がこんなに満面の笑みを浮かべているのは、今まで見たことがない。しかし、それだけの笑顔でもある反面、深緑の瞳だけは見開かれたまま、笑っていない。
 そういえばこいつは、“代償行為”だと言っていた。何かを“殺した”気にならなければ、ダメなのだと……。
 頭の中で、違和感が繋がる。
 そうか。この残虐な行為は、上坂にとって“殺人”衝動を発散させるためのものなのだ。
 さらに死体でそれを行うのは、無駄に命を奪わないようにするためなのかも……。

 この結論は、後から考えてみれば僕がそう解釈したいだけのものだったのかも知れない。これだけの惨状を見せ付けられて、大いに混乱し精神的にも弱化していたことは紛れもない事実だ。
 ただ、この後の僕の行動は決して間違ってはいなかったと思う。

 ――刺傷で最早原型すら留めていない肉の塊に、尚も刃を突き立てようとする上坂の腕を掴む。手汗に塗れた手で掴まれたのは、さぞ気持ちの悪い感触だっただろう。それでも上坂は、顔色一つ変えずに僕を見る。
 「もう、やめろ……!」
 「え?」
 その時僕は見た。
 こちらを向いた上坂の頬に、血液とは違う液体が流れていたのを。
 「もうこんなことはしなくていい……!!お前が辛かったのは、僕が一番わかっている!だから……っ!!」
 それは、涙。
 だから僕は、上坂を抱き締めて、
 「一緒に……耐えよう。この歪んだ衝動と、一緒に、闘おう……?」
 そう、言ったのだ。



* * * * *



 上坂は……あげはは、弱い。
 あの日から僕は、できる限りあげはの傍に居る。
 そうして気付いたのは、彼女はひどく精神面に問題を抱えていることだった。
 それがあの衝動によって歪められたものなのか、それとも元来彼女が抱えていたものなのかは分からない。
 しかしそれはともかく、彼女は何かの支えがなければ立てない人間だった。
 一度、彼女の部屋に立ち入ったことがあったが、凄まじい荒れようであった。
 転がっているものも、自傷に使われたと思われる刃物類から、血の滲んだ包帯に、注射器、謎の薬(できれば詳しく知りたくはない)など……そんな有様だった。
 あげはは平時は大人しくしているのだが、衝動の波が来ると彼女の言動はハイになる。
 ちょうど、あの日がそうであったように。

 あの日見た“代償行為”は、彼女なりに考えた結果だった。
 彼女は“殺人”を犯さない。それがいけないことだということを、きちんと理解している。
 けれど、何かを“殺”さなければ、あげはの精神ではこの衝動をやり過ごすことはできなかったのだ。
 だからあげはは、既に死んでいるものに同じことをやれば、多少なりとも和らぐのでは?と、考えたのだ。

 彼女の行いはお世辞にも常識的とは言いがたいが、同じ問題を抱えている身からすれば、最も正しい選択を彼女はしていたのだと言える。
 むしろ、これに耐えれられている僕の方が、異常なのかも知れないと思わなかったといえば、嘘になる。

 「私は、怖いの」
 「“殺す”ことが?」
 「“殺す”ことは、命を奪うこと。私は自分が他人の命を奪ってまで生き永らえる価値があるとは思えない」
 「じゃあ、“自殺”すればよかったんじゃないのか?」
 まあ、知っていればさせないけれど。
 「“死のう”と思ったことは何度もある。でも、“死ねない”。“死ねなかった”。多分私たちは“自殺”できないようになっている」
 彼女にそう言われて、僕は“自分が死ねばいい”という考えには思い至らなかったことに気付かされた。
 こんな歪んだ衝動……いつ爆発するかも分からない爆弾を抱えて他人を危険に晒したまま生きるぐらいなら、自分が“死ねばいい”。
 そんな単純な結論にたどり着かなけなかったのは、僕が間抜けだからなのか。
 それとも、あげはが言うように”そう考えられないようになっている”とでも言うのか。
 このことで改めて、自分たちの奇異な性質に辟易させられた。

 それでも、彼女と一緒の時間は安らぎであったように思う。
 同じ苦しみを分かり合える者同士、理解者は世界で僕らだけ。
 それに、どういうわけか二人きりで居る時はあの衝動は比較的に和らいでいるように感じた。
 だから僕らは二人で居ることで少しづつ癒され、同時に少しづつ忘れていったのだった。

 僕らがどうしようもない、歪んだ衝動を孕んだ存在だと言うことを。



* * * * *



 季節は秋になった。
 その頃には衝動に苛まれることもほとんどなくなり、僕とあげはは名実共に“普通の付き合い”ができるようになっていた。
 あの衝動に悩まされた日々が嘘だったかのような気持ちに、自然と気持ちは浮き足立つ。
 あげはと一緒に居ることは、最早僕にとって生き甲斐だった。

 その日も、一緒に下校する約束をしていた。しかし、クラスメイトに委員会の仕事を代わるように頼まれ、基本イエスマンな僕はそれを承諾してしまったのだった。
 あげはに先に帰るようメールで連絡を入れ、了承の返事を受信する。
 そして携帯を閉じた僕は、足早に目的の教室である会議室へ向かった。
 会議室に続く廊下を歩いていると、向こうから霧ヶ峰先生が歩いてくるのが見えた。そういえば、先生はあげはにも気を配っていたらしい。
 あげはは元々クラスメイトとの折り合いも悪く、加えてあの衝動を抱えていたものだから、ますます捻くれていたのだろう。その点で言えば、僕よりもあげはの方が先生にとっては悩みのタネだったのかも知れない。
 「あ、ハル……じゃなくて石橋君。会議室に何か用事?でも、あなた委員会には入ってなかったはずじゃ……?」
 霧ヶ峰先生はいつも通りのにこやかな笑みで話しかけてくる。
 「いえ、外せない用事があるから委員会の仕事変わってくれって頼まれて……」
 正直言えば、先生のことは今でも気になっている。だけど今は、あげはが全てだから。
 「そう、仕方ないわね。じゃあよろしく頼むね」
 はい、と頷いて歩き出す。
 「ハル……。もう、大丈夫?」
 擦れ違いざまに、先生が問う。
 僕は再び、「はい」と言い残しその場を去った。
 「ハル……か。懐かしいな」
 昔、先生は僕をそう呼んでいた。今でもそう呼んでくれていることが、昔と自分が変わっていない証拠に思えて、素直に嬉しかった。
 僕は、歪められていないのだ、と。

 委員会活動はわりとどうでもいい会議があっただけで、予想以上に早く終わった。僕は早々に下校し、あげはの自宅へ向かう。
 あげはが、僕が来るのを待っている。
 あげはは父親と二人暮らしだったが、父親は海外赴任で飛び回っており、家に帰ってくるのは年に一、二回程度らしい。必然、僕とあげはが同じ時間を共有するのは彼女に家で、というのがお約束になっていた。

 程なくしてあげはの家に着く。
 だが、様子がおかしい。
 この時間なら部屋の明かりが点いていてもいいはずなのに、家は明かりが点いていないどころか、人の気配すらない。試しにチャイムを鳴らしてみたり、自宅と携帯へ電話をしてみたが反応はない。
 まだ帰っていないのか?
 だとしたら何故?
 不意に嫌な予感が過ぎり、僕は鞄をその場に投げ出して走り出した。
 あげは、どこにいるんだ?

 2時間ほど町中を探し回った頃だろうか。突然ポケットの携帯電話が震えだした。
 着信はあげはからで、僕は慌てて電話に出る。
 「ハル、今……どこに居るんですか?」
 この声とその呼び方は霧ヶ峰先生だ。
 しかし何故先生があげはの携帯から電話をしているのだろうか。
 「霧ヶ峰先生?なんで、先生が……?」
 「学校近くの裏通り。そこに来てください、今すぐに」
 先生はそれだけ言うと、通話を切った。わけがわからないが、相変わらず嫌な予感は拭えない。
 一先ず、その場に急ぐことにした。
 僕とあげはが一緒に衝動と闘おうと誓った、あの裏通りで何があったというのだろうか。